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広島地方裁判所 平成6年(ワ)1593号 判決 1999年3月29日

原告

佐々木ハルエ

外四名

原告ら訴訟代理人弁護士

小笠豊

被告

亡甲野太郎訴訟継承人

甲野次郎

外三名

被告ら訴訟代理人弁護士

山本敬是

大元孝次

新谷昭治

右訴訟復代理人弁護士

前川秀雅

主文

一  被告甲野次郎は、原告佐々木ハルエに対し、金五二三万二七四一円及びこれに対する平成六年六月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告佐々木一彦、同中嶋かず子、同柿原のり子及び同佐々木玲子に対し、それぞれ金一一五万八一八五円及びこれに対する同日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告甲野三郎は、原告佐々木ハルエに対し、金五二三万二七四一円及びこれに対する平成六年六月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告佐々木一彦、同中嶋かず子、同柿原のり子及び同佐々木玲子に対し、それぞれ金一一五万八一八五円及びこれに対する同日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告乙山春男は、原告佐々木ハルエに対し、金一〇四六万五四八二円及びこれに対する平成六年六月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告佐々木一彦、同中嶋かず子、同柿原のり子及び同佐々木玲子に対し、それぞれ金二三一万六三七〇円及びこれに対する同日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

四  原告らの右被告らに対するその余の請求及び被告丙川夏助に対する請求をいずれも棄却する。

五  訴訟費用は、原告らに生じた費用の九分の五と被告丙川夏助を除く被告らに生じた費用の六分の五を同被告らの負担とし、原告らに生じたその余の費用と同被告らに生じたその余の費用と被告丙川夏助に生じた費用を原告らの負担とする。

六  この判決の第一ないし第三項は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

一  被告甲野次郎は、原告佐々木ハルエに対し、六三〇万円及びこれに対する平成六年六月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告佐々木一彦、同中嶋かず子、同柿原のり子及び同佐々木玲子に対し、それぞれ一四二万五〇〇〇円及びこれに対する同日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告甲野三郎は、原告佐々木ハルエに対し、六三〇万円及びこれに対する平成六年六月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告佐々木一彦、同中嶋かず子、同柿原のり子及び同佐々木玲子に対し、それぞれ一四二万五〇〇〇円及びこれに対する同日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告乙山春男は、原告佐々木ハルエに対し、一二六〇万円及びこれに対する平成六年六月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告佐々木一彦、同中嶋かず子、同柿原のり子及び同佐々木玲子に対し、それぞれ二八五万円及びこれに対する同日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

四  被告丙川夏助は、原告佐々木ハルエに対し、一二六〇万円及びこれに対する平成六年六月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告佐々木一彦、同中嶋かず子、同柿原のり子及び同佐々木玲子に対し、それぞれ二八五万円及びこれに対する同日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、原告らが、その被相続人が交通事故により入院した際に治療に当たった医師の過失によって死亡したとして不法行為責任又は医療契約上の債務不履行責任を主張し、病院開設者の相続人又は担当医師である被告らに対し、損害賠償を求めた事案であるが、本件の争点は、担当医師の過失の有無である。

一  当事者間に争いのない事実(ただし、1及び2(三)については、弁論の全趣旨により認める。)

1  原告佐々木ハルエ(以下「原告ハルエ」という。)は、亡佐々木光範(大正一一年三月一日生、平成六年六月二六日死亡。以下「光範」という。)の妻であり、その余の原告らは、光範の子である。

2(一)  訴訟承継前の被告甲野太郎(以下「甲野院長」という。)は、西条中央病院(以下「被告病院」という。)を開設し、その院長を務めていた。

(二)  被告乙山春男(以下「被告乙山」という。)及び被告丙川夏助(以下「被告丙川」という。)は、被告病院の常勤医師である。

(三)  甲野院長は、本訴係属後の平成九年七月一日死亡した。被告甲野次郎は、甲野院長の妻であり、被告甲野三郎は甲野院長の子である。

3  光範は、平成六年六月二五日、交通事故により負傷して、被告病院に搬送され、被告病院の非常勤医師である三井法真(以下「三井医師」という。)、被告乙山、被告丙川等の診察及び治療を受け、同月二六日午前九時ころから、被告乙山の執刀により開腹手術を受けたが、その後、容態が悪化し、同日午後七時五〇分、死亡した。

4  原告らは、光範の死亡について、自賠責保険から一四一二万五二八〇円を受領した。

二  当事者の主張

1  原告ら

(一) 甲野院長、被告乙山及び三井医師には、次のような過失に基づく不法行為責任があるし、甲野院長には、被告乙山及び三井医師の使用者責任があり、かつ、同様の過失に基づく医療契約上の債務不履行責任がある。

(1) 光範受診時の検査及び診察が不十分であった過失

前記交通事故は、自動車の正面衝突であり、光範の膝に擦過傷があり、頸椎にも痛みがあったことから、ハンドルその他の突起物で腹部を打ちつけたものとして、腹部重要臓器の損傷を疑うべき状況であったにもかかわらず、三井医師及び甲野院長には、呼吸、脈拍及び血圧の測定及び記録、腹部レントゲン写真の撮影並びに心電図の測定を怠った過失があり、そのため、光範の治療が遅れ、光範は死亡した。

(2) CT写真の読影を誤り、追加検査が不適切であった過失

光範の腹部CT写真には、腹腔内出血と考えられる約一〇〇〇ミリリットルの腹水貯留像及び腸間膜損傷を疑わせる異常病塊像が存したのであって、三井医師がこれを適切に読影し、平成六年六月二五日午後一〇時から午後一一時までの間ころに腹部レントゲン写真を追加撮影していれば、腸管損傷(小腸穿孔)が判断できたものであるから、この点に過失がある。

(3) 開腹手術実施が遅れた過失

小腸穿孔が疑われる場合、受傷後六時間以内がゴールデンタイムと言われ、それを超えても可及的早期に開腹手術を実施することが望ましいところ、被告病院は第二次救急医療機関で緊急開腹手術を実施できるスタッフも設備も整っていだが、副院長であり外科の責任者である被告乙山は、緊急開腹手術をした方がよいのではないかと判断した三井医師及び被告丙川から相談を受けたにもかかわらず、手術を翌朝まで待てばよいと判断してその旨指示し、そのため、開腹手術の実施が遅れた光範は腹膜炎ショックを起こし、血行障害から腸管壊死も起こし、心筋梗塞を合併して死亡したのであるから、被告乙山にはこの点に過失がある。

(二) 原告らは、次のとおりの損害を被った。

(1) 逸失利益 九二三万〇七六〇円

(2) 慰謝料 二五〇〇万円

(3) 墳墓及び葬祭費 一〇〇万円(原告ハルエ負担)

なお、右(1)ないし(3)の合計から自賠責保険からの受領した金員を控除した上、そのうち二一〇〇万円(原告ハルエ一一〇〇万円、その余の原告ら各二五〇万円)を損害として主張する。

(4) 弁護士費用 三〇〇万円(原告ハルエ一六〇万円、その余の原告ら各三五万円)

2  被告ら

光範の死因は、開腹手術後に偶発的に発症した急性心筋梗塞である。

また、光範においては、腹腔内出血は認められたものの、小腸破裂を診断することはできなかった上、血液検査で貧血の進行もなく、血圧も安定していたことから、被告乙山は、翌朝にスタッフを揃えてから光範の開腹手術を実施しても可能と判断したものである。

さらに、仮に、平成六年六月二五日午後一一時四五分ころの時点で開腹手術を決断すべきであったとしても、手術の準備に二、三時間は要したはずであり、原告らの主張するゴールデンタイムを優に経過してしまうので、結局、開腹手術の遅れと光範の死亡との因果関係はない。

第三  当裁判所の判断

一  認定事実

先に摘示した当事者間に争いがない事実に、甲第一ないし第三号証、乙第一ないし第一八号証(枝番を含む。)、第二二、第二三号証、証人三井法真の証言、原告ハルエ、訴訟承継前被告甲野太郎及び被告乙山の各本人尋問の結果、鑑定人加来信雄及び同上松瀬勝男の各鑑定の結果並びに弁論の全趣旨を併せれば、次の事実が認められる。

1  光範は、平成六年六月二五日午後五時五〇分ころ、広島県東広島市内において、飲酒の上で軽四輪自動車を運転していた際、普通乗用自動車との正面衝突事故により負傷し、同日午後六時二五分ころ、最寄りの被告病院に搬送された。

2  被告病院では、まず、非常勤医師である三井医師が中心となり、甲野院長とともに、右交通事故の状況を聴いた上、光範の診察及び治療に当たり、抹消血液検査及び血圧測定も実施したが、光範は、その際、意識は明瞭でアルコール臭が強く顔面を紅潮させて興奮しており、血圧は収縮期九〇で、頭痛、吐気、腹痛及び胸痛はいずれもなく、頚部痛を訴え、左膝及び右腰部に擦過傷があった。このほか、三井医師は、光範の頸椎、左膝及び胸部のレントゲン検査を実施したが、特に異常を認めず、抹消血液検査では、白血球増多を認めたため、血管確保の上、ラクテック(代用血漿剤)の持続点滴を実施した。

3  光範は、右同日午後八時過ぎころ、腹痛を訴え、三井医師が診察したところ、左上腹部の圧痛を認めたが、腹膜刺激症状である筋性防御は認めなかった。三井医師は、光範が酩酊状態で立位が困難なため仰臥位及び左側臥位で腹部レントゲン検査を実施したが、消化管損傷の際に発生する遊離ガス像等の異常所見は認めず、同日午後九時一〇分ころ、腹部CT検査を実施したが、肝臓及び脾臓の周囲に約一〇〇〇ミリリットルの液体貯留を認め腹腔内出血が疑われたものの、やはり遊離ガス像は認めなかった。三井医師は、同日午後九時一五分ころ、光範を集中治療室へ入室させ心電図モニターを装着させたが、右上腹部に自発痛はないものの圧痛及び筋性防御が、左上腹部から下腹部にかけて自発痛、圧痛及び筋性防御を認め、同日午後九時三〇分ころ、腹部超音波検査を実施したが、肝臓下面に液体貯留を認め腹腔内出血が疑われた。そして、右同日午後九時三〇分の時点における光範の血圧は、一〇九ないし八〇であった。

4  光範は、右同日午後一〇時ころ、血圧が七〇ないし五八に低下したため、三井医師は、ラクテックを急速滴下した上(なお、午後一〇時二〇分の時点における血圧は九六ないし五二となった。)、抹消血液検査再検を実施したが、白血球数は減少しており、完全に否定できなかったものの腹膜炎の可能性は少ないと判断した。そして、三井医師は、被告病院に駆け付けていた光範の家族である原告ハルエらに、その旨説明し、右同日午後一〇時二〇分、腹膜炎の可能性も否定できないため、抗生物質であるフルマリンを点滴投与した。

5  光範は、右同日午後一一時におう吐したほかは、血圧は一〇八ないし七〇であり、腹痛の状況等は集中治療室入室時と大きく変化はなかったが、同日午後一一時四五分、抹消血液検査の結果、白血球数の急激な減少が認められ、血液ガス分析により代謝性アシドーシスも認めらたため、三井医師は開腹手術の施行がより良いと判断し、翌平成六年六月二六日午前〇時過ぎころ、被告病院外にいた常勤医師である被告丙川に連絡を取った。

6  被告丙川は、右同日午前一時ころ、被告病院に到着し、光範を診察の上、電話で被告病院外にいた副院長被告乙山に状況を報告して、今後の対応について指示を仰いだ。被告乙山は、これまでの経過及び検査結果も踏まえ、腹膜刺激症状から腸管損傷が疑われたが、腹腔内出血により説明が可能なことから、結局、腹腔内出血が疑われるが貧血の進行やバイタルサインの悪化がないとして、開腹手術を同日朝に施行する方針を決定し、被告丙川にその旨指示し、被告丙川は、光範に代謝性アシドーシスに対しメイロンを点滴投与した上、原告ハルエらに対し右方針を説明した。その後、光範には、右同日午前一時ころから、ショック状態の一つの徴表である尿量の減少が見られ、同日午前八時には、本来一時間当たり六〇ミリリットル程度が正常な尿量が一時間当たり五ミリリットルになった。また、右同日午前五時三〇分ころになり、光範の血圧が六七ないし四七と低下したが、三井医師がラクテックを急速滴下したところ、一三〇ないし八四に回復した。

7  被告乙山は、右同日午前八時三〇分ころ、被告病院に到着し、三井医師から引継ぎを受け、同日午前九時過ぎころ、光範を手術室に入室させ、午前九時四五分ころから約三時間四〇分間、執刀医として開腹手術を施行した。光範においては、その際、特に容態の異常は見られず、脾臓、肝臓及び大腸に損傷はなかったが、腹腔内に約二〇〇〇ミリリットルの血性腹水が認められ、S字腸間膜に軽度の裂傷があり、小腸について、約二メートルにわたり壊死した部分があったほか、起始部から約一三〇センチメートル肛門側で腸間膜が根部まで裂けた状態で腸内容の流出があり、血液の途絶により当該部位が約二〇センチメートルの範囲にわたり壊死し、末端より口側約一二ないし一三センチメートルの部位で腸間膜の裂傷が認められた。そして、術中、光範の血圧は収縮期一〇〇以上に回復し、尿量も一時間当たり三〇ミリリットルまで回復した。

8  光範は、開腹手術後の右同日午後二時五分、気管内チューブ挿管状態のまま集中治療室へ戻り、心電図モニターを装着したところ、術中及び術前には認められなかったST低下があり、狭心症発作が疑われ、血圧も低下したため、術中から点滴使用していたカタボンHI(少量では内蔵血管拡張作用による利尿効果があり、多量では抹消血管収縮による昇圧作用がある薬剤)が増量されたが、効果なく、同日午後二時三〇分ころ、心電図検査を実施したところ、右冠動脈の攣縮ないし閉塞による心筋梗塞と考えられる所見が現れたので、ニトログリセリン錠が舌下投与された。そして、被告丙川において、原告ハルエらに対し、光範が心筋梗塞の発作を起こした可能性がある旨を説明した。

9  光範は、右同日午後三時ころ、意識清明の状態に戻ったものの、その後、不整脈が出現し、カタボンHIの増量投与等の措置がとられたが、徐々に血圧が低下し、同日午後七時五〇分、心臓が停止し、心筋梗塞により死亡した。

なお、甲野院長は、右同日、光範に関する将来の保険金請求の便宜も考え、死亡診断書の光範の死亡の原因を交通事故による小腸破裂及び腸間膜損傷と記載した。

二  被告乙山らの過失の有無

1  光範受診時の検査及び診察が不十分であった過失の有無

医師である鑑定人加来信雄の鑑定の結果(以下「加来鑑定」という。)は、光範の受診時の検査及び診察について、①外来カルテに診療の基本である呼吸、脈拍及び血圧が明確に記載されておらず(ただし、血圧については八〇の記載がある。)、②受傷状況からして腹部外傷が疑われるのに腹部レントゲン写真がなく、③負傷者が高齢で不測の事態が生じる可能性を予測しなかったのか心電図の検査をしておらず、これら三点が行れず、その重要性が理解されていないため、その後の治療展開が遅れることになったとし、右加来信雄は証人尋問においても同旨の証言をする。

しかしながら、①及び③については、これらが光範の死亡とどのような因果関係を有するのか判然とせず、②についても、前記一に認定のとおり、三井医師は、原告が主張するゴールデンタイムの範囲内である平成六年六月二五日午後八時すぎには、腹部レントゲン検査を実施しているのであるから、結局、これらの点は、救急外科医として本来なすべきことをしていないということにとどまり、進んで、三井医師又は甲野院長に光範の死亡と相当因果関係を有する過失があったということは困難である。

2  CT写真の読影を誤り、追加検査が不適切であった過失の有無

乙第八号証の二及び加来鑑定によれば、平成六年六月二五日午後九時一〇分ころ撮影された腹部CT写真の一部に、前記一に認定の液体貯留像のほか、右側腹部に高吸収及び低吸収を伴う腸間膜損傷を疑わせる異常病塊像が、上腹壁下に遊離ガス様所見があることが認められ、そうすると、加来鑑定が指摘するとおり、三井医師は、右CT写真を的確に読影した上、それまでの経過にかんがみ、直ちに腹部レントゲン写真(左側臥位)を追加撮影して、遊離ガスの有無を確認すべきであったということができる。

しかしながら、証人加来信雄の証言によれば、小腸の腸管損傷の場合、腹腔内の遊離ガス発生は、概ね、受傷直後で三〇パーセント、六時間後で六〇パーセント、一二時間後で九〇パーセントであることが認められ、そうだとすれば、受傷後四時間程度の右時点において腹部レントゲン写真を追加撮影していたとしても、遊離ガスの読影が可能であったか否かは不確定といわざるを得ず、結局、これらの点も、三井医師が本来なすべきことをしていないということにとどまり、進んで、三井医師に光範の死亡と相当因果関係を有する過失があったということは困難である。

3  開腹手術実施が遅れた過失の有無

証人加来信雄の証言及び加来鑑定によれば、一般的に、腸管損傷(小腸穿孔)では、六時間でショック準備状態に、一二時間で重症ショック状態に、二四時間で臓器障害出現、四八時間で不可逆性ショック状態に陥るため、腸管損傷が疑われる場合、できるだけ早期、できれば受傷後六時間(ゴールデンタイム)以内の手術が望ましく、ことに本件では、光範が高齢者であり不測の事態が起きやすいことも考えると、早期開腹手術が望ましかったと認められる(なお、甲第五ないし第九号証、乙第二〇、第二一号証、第三〇号証によれば、各種医学文献も、腸管損傷が疑われる場合は、病態改善、経過観察等との相関関係はあるものの、できる限り早期の開腹手術が必要であるとする点においては共通することが認められる。また、乙第二九号証には、昭和五三年から平成三年までの間にある病院で手術を実施した外傷性小腸単独損傷の事例二〇例について、受傷から手術までの時間が一二プラスマイナス一一時間であった旨の記載があるが、受傷後一六時間を超えて実施された手術の事例が具体的にどのような症状であったか、それが適切であったか等が不明であり、右記載をもって開腹手術は受傷約一六時間後に実施すれば足りるとすることはできない。)ところ、前記一に認定のとおり、被告乙山は、腸管損傷の疑いが否定できなかったにもかかわらず、平成六年六月二六日午前一時ころの時点で、開腹手術の実施を翌朝と決定し、そのため、結局、その後漫然と時間が経過し、受傷後約一六時間して開腹手術を実施するに至ったものであるから、被告乙山には、この点において、過失があるということができる。

ところで、被告らは、光範の死因は心筋梗塞であるから、光範の死亡と開腹手術の実施が受傷約一六時間後となったこととの因果関係はない旨主張し、乙第二五号証(被告らの依頼による医師松浦雄一郎作成の私的鑑定書)にはこれに沿う記載があり、医師である鑑定人上松瀬勝男の鑑定の結果(以下「上松瀬鑑定」という。)にもこれに沿うかのような部分がある。

しかしながら、証人加来信雄は、開腹手術の遅れと光範の死亡との間に因果関係があるとする加来鑑定を補足し、「光範は、腸管穿孔による腹膜炎を発症させ、ショック状態及びアシドーシス状態が進行し、それにより冠動脈等の血流状態が悪化し、高齢であったこともあいまって心筋梗塞を発症させやすい状態となったものである。自分自身、心停止まではいかなかったものの、同様の症例を経験したことがある。」旨証言するところ、右証言は、前記一に認定の光範の症状経過に裏付けられているほか、その信用性を疑わせる事情は見当たらない。

また、上松瀬鑑定は、「心筋梗塞は、冠動脈の動脈硬化による狭窄部に血栓形成が起こり冠動脈が完全閉塞して発症するものであるところ、理論的には、冠動脈に九〇パーセント以上の高度狭窄がある状態でショック状態(血圧低下)に陥れば、狭窄部より抹消側は極端な虚血状態となり、この状態が持続すれば、心筋梗塞が発症してもよいはずである。しかし、補液等により血液が薄まり粘稠度が低下し凝固しにくくなり、冠動脈の狭窄部に血栓が形成されにくくなるためか、通常、開腹手術により、又は腹部外傷等でショック状態及びアシドーシス状態が長く続いたことにより心筋梗塞が発症する事例はほとんど見られない。」とする(乙第二五号証が因果関係を否定する主たる根拠もこれと同旨と考えられる。)けれども、証人上松瀬勝男の証言によれば、上松瀬鑑定も、そのような事例が珍しいというだけであって、ショック状態等が続いたところへ開腹手術が施行されたことが心筋梗塞発症の可能性を高めたことを否定するものではなく、ただ、健常者でも突然心筋梗塞を発症することがあるので、光範もそれと同様にたまたま術後に心筋梗塞を発症した可能性も絶対ないとはいえないとの趣旨であると認められる。

すると、光範の心筋梗塞は、偶発的なものではなく、開腹手術が遅れショック状態及びアシドーシス状態が進行した状況に開腹手術という侵襲行為が加わったために発症したと認めるのに十分であって(なお、乙第二六ないし第二八号証及び証人上松瀬勝男の証言によれば、ショック状態及び胸腹部の外科手術は心筋梗塞発症のリスクファクターとなることが認められる。)、被告乙山の開腹手術を遅らせた過失と光範の死亡との間には相当因果関係を肯認できるから、被告乙山は、民法七〇九条に基づき後記損害を賠償する義務があり、被告乙山の使用者であった甲野院長は、民法七一五条に基づき後記損害を賠償する義務を負ったものというべきである。

なお、被告らは、仮に、平成六年六月二五日午後一一時四五分ころの時点で開腹手術を決断すべきであったとしても、手術の準備に二、三時間は要したはずであり、受傷後六時間以内というゴールデンタイムを優に経過してしまうので、結局、開腹手術の遅れと光範の死亡との因果関係はない旨主張するが、証人加来信雄の証言によれば、右ゴールデンタイムは救命のための絶対的な限界時間ではなく、これを経過しても可能な限り早期に開腹手術をすれば、心筋梗塞を発症する可能性は減少したと認められるから、開腹手術の遅れと光範の死亡との間に因果関係を否定することはできない。

4  原告らの被告丙川に対する請求については、原告らにおいて被告丙川の過失につき具体的な主張をしないので、失当というべきである。

三  原告らの損害

1  逸失利益 八〇五万六二四四円

原告ハルエ本人尋問の結果によれば、光範は、死亡当時七二歳であり、農業に従事する健康な男子であったことが認められるところ、右事実によれば、光範は、原告ら主張のとおり四年間稼働することが可能であったといえるから、平成六年賃金センサス男子労働者の七二歳の平均年収三七六万七一〇〇円を基礎とし、生活費控除割合を四〇パーセントとして、新ホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除して、光範の死亡時の逸失利益を算定すると、八〇五万六二四四円となる。

3,767,100×(1−0.4)×3.5643≒8,056,244

2  慰謝料 二三〇〇万円

本件に現れた諸般の事情を考慮すると、光範の死亡に関する精神的苦痛に対する慰謝料としては、二三〇〇万円をもって相当とする。

3  墳墓及び葬祭費 一〇〇万円(原告ハルエ)

甲第一一号証の一ないし三、原告ハルエ本人尋問の結果によれば、原告ハルエは、光範の墳墓及び葬祭費合計三〇〇万円余りを支出した事実が認められるが、そのうち、被告乙山の前記過失と相当因果関係を有する額は一〇〇万円とするのが相当である。

4  相続

右1及び2の損害賠償請求権について、原告ハルエが二分の一、その余の原告らが八分の一ずつを相続したので、原告ハルエの損害額は、右相続分と右3の損害の合計一六五二万八一二二円となり、その余の原告らの損害額は、各三八八万二〇三〇円となる。

5  損益相殺

弁論の全趣旨によれば、原告らは、自賠責保険からの填補額一四一二万五二八〇円を相続割合に応じて受領したものと認められるから、これらを原告らの右各損害額から控除すると、原告ハルエの損害額は、九四六万五四八二円、その余の原告らの損害額は、各二一一万六三七〇円となる。

6  弁護士費用 原告ハルエ一〇〇万円、その余の原告ら各二〇万円

弁論の全趣旨によれば、原告らは、被告らに損害賠償の請求をするため、本訴の提起を余儀なくされ、相当額の報酬の支払を約してその追行を原告ら訴訟代理人に委任した事実が認められるが、本訴の経過、事案の難易、認容額等の本件に現れた諸般の事情にかんがみれば、被告乙山の前記過失と相当因果関係を有する弁護士費用としては、原告ハルエについては一〇〇万円、その余の原告らについては各二〇万円とするのが相当である。

7  小括

右によれば、原告らの損害額は、原告ハルエについて一〇四六万五四八二円、その余の原告らについて各二三一万六三七〇円となる。

四  結論

以上によれば、被告甲野両名は、前記相続により甲野院長の損害賠償債務を二分の一ずつ承継し、被告甲野次郎は、原告ハルエに対し五二三万二七四一円、その余の原告らに対し、それぞれ一一五万八一八五円及び右各金員に対する光範の死亡の日である平成六年六月二六日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務があり、被告甲野三郎は、原告ハルエに対し五二三万二七四一円、その余の原告らに対し、それぞれ一一五万八一八五円及び右各金員に対する同日から支払済みまで同割合による遅延損害金の支払義務があり、被告乙山は、原告ハルエに対し一〇四六万五四八二円、その余の原告らに対し、それぞれ二三一万六三七〇円及び右各金員に対する同日から支払済みまで同割合による遅延損害金の支払義務があるというべきである。なお、被告らの各債務の関係は、被告甲野次郎と同乙山の各債務及び被告甲野三郎と同乙山の各債務が、それぞれ連帯債務となる。

よって、原告らの右被告らに対する請求は、右認定の限度で理由があるからいずれも認容し、その余はいずれも理由がないから棄却し、原告らの被告丙川に対する請求はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担について民訴法六一条、六四条、六五条を、仮執行の宣言について同法二五九条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・池田克俊、裁判官・能勢顯男、裁判官・畑一郎)

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